休日の某日、「バウハウスって、何??」の看板に吸い寄せられるように美術館に入りました。入れば全て解ると思ったんです、バウハウスの全てが。本牧戦線SACHSブログとBAUHAUS(バウハウス)の関係は、、ナチス以前の近代ドイツ工業製品のロジックを紐解く上で、避けては通れない気がするからです。因みに本牧戦線SACHSブログのレギュラー、と言うかドイツ方面の”ご意見番WQ大佐(元NATO専属軍事ジャーナリスト)”曰く、「BAUHAUS?どん底の暗さの表現だろ、意味ないね、そんなのシカトしろよ」と、言ってました。実際に展示会(上野の芸術大学美術館、撮影禁止)を観た僕の感想も半分はシカトで事実、ふむ!と納得出来たのは半分以下。バウハウスの芸術部門(デッサン、オブジェ、変な踊り、実験音楽方面)は全く僕らには関係ありませんでしたが、量産を踏まえた工業デザインと広告(タイポグラフィー)には感銘を受けました。写真が撮れなかったので手持ちの手帳に数ページ書き留めたくらいです。中には見慣れたデザインの基礎(ここでは法則なんでしか?)が数点ありまして、旧BMWエンブレムやニュルブルグ城(ノルドシュライフェのヒトラー城)マークの書き方指導書のようなモノから、Messerschmittの機体デカール、Porsche、Audiの様々なサインと、近代ドイツ工業デザインの基礎は確かにBAUHAUSから派生したようです。(僕の気のせいかもしれないけどね)因みにBAUHAUS造型芸術学校が活動を開始したのは1919年のドイツヴァイマール。奇しくもヴァイマール共和国と言う負の遺産を背負う為だけに誕生した国が発足したのも1919年、以降拠点をヴァイマールから、デッサウ、ベルリンと移しナチスによって閉校に追い込まれた。と書いてあります。WQ大佐が言う「どん底の暗さ」が僕には心地よく、その暗さは年代を経て「鋭く、冷たい、疾走する速度感」をデザインとして具体化する中枢に今も存在しているように感じました。(これも僕の気のせいかもしれないけどね)
撮影協力 BAUHAUSexperience,dessau 東京芸術大学大学美術館