VW NILS

VW NILS EURO6 欧州規制次期欧州規制Euro7が結構ヤバイ。と言う話が出ておりますが、日本の法律(車両法規制)じゃないのでそれほどでも、、と、思います。しかしその規制をクリアしないと売る事の出来ない仕立てになりますから今後欧州車のカタチが大きく変わる可能性もあり?で思い出したのが昔ドイツでガン見してきたフォルクスワーゲンコンセプトNILS。単座+1人ウルトラライトウエイト電気自動車で特徴的な細いタイヤ。Euro7では更なる排ガス(成分と音量)規制+要求燃費+ブレーキダスト&タイヤカスの規制があるそう。ブレーキダストはつい最近XaCARさんの記事で「出来るだけブレーキダストを放出しないように空気を取り込まないデザインのホイール装着が義務化」みたいな感じで書かれておりました。ドイツは本気、、そんなに積極的に規制する割には50km進むのにたった15分のベタ踏みは止めないのが流石のドイツ不思議の国。話をタイヤカスに戻しまして、タイヤが細ければカスの量が少ない=NILSが将来的なドイツ車のスタンダードな姿かも?と思った次第。これはコレで凄く格好良く見えてリア駆動&四輪ダブルウィッシュボーン&ウルトラライトウエイト個人的にはこれでOK!と言いつつも、規制の結果、共産圏のように皆同じクルマに乗るって事は絶対にない(特にドイツではビートルの悪夢があり)と思いますので各タイヤメーカーさんとブレーキメーカー(どちらも持つコンチネンタルが優勢か?株買っときますか!)さんが頑張っているようです。「細いタイヤなんて嫌なんだけど!」ですよね。実は既に持続可能(と言える解釈を持つ)なタイヤってあるようですのでご心配なく。 日々精進

EJ20フルーダンパークランクプーリー完売

フルーダンパークランクプーリー弊社の和室(倉庫)に温存していたスバルEJ20用フルーダンパークランクプーリー在庫ラスト1が完売しました。ご購入下さいましたスバルWRX-EJ20オーナーさんに感謝!この度はありがとうございました。DARPA-米国防省由来の特許技術を持つフルーダンパーは、エンジン振動の根幹であるクランク振動のロスを補い、回転パワーに還元する”え?って感じ”の性能です。その性能欲しさに特許期間の切れ間を狙って独VAGがAudi-R8のエンジンにしらっと純正採用した話を聞くと”性能の信ぴょう性”もグッと上ると思います。メインテナンスフリーでパワーロスを補い、エンジン始動中の振動を全速度域で軽減。フロントウインドウ越しの視界がクリアになる、個人的に速度が遅く感じるようになりました。また音も空気の振動ですので音源であるクランク振動の緩和によりクリアなEJ20の機関音と排気音が楽しめると思いますよ。5年以上前はイロモノ扱いだったフルーダンパークランクプーリー。当時は頑張って売らなくちゃ!と考え積極的にWRX-EJ20オーナーさんにお声がけしてきましたが「パワーあるからそんなの要らない、きもいよオッサン!あっち行け!」と。確かにその通り(笑)。パワーが少ない&少しでもパワーロスを抑えたいFA20(86&BRZ)にこそ換装が必要なパーツだと思います。今ならFA20用フルーダンパークランクプーリー即納数セット在庫ございます。 日々精進

FRの醍醐味

前職の勤務地

とうとうブログネタが尽きまして、今回はGoogleMAP&ストリートビュー提供の元、どーでもいい画像(前職の勤務地一挙公開)の解説と、過去の失敗を思い出し、これから先の戒めと言う意味もあり。そもそも高校の先輩が小石川高校在学中から経営していたホワイトアトラス(現エイベックス)に就職しないでコッチ(主に港湾労働)を選んだ時点でアウトだった気がしないでもない(汗)。いやいやこれから頑張るって感じです。

泉岳寺 高輪マンション 赤穂浪士まだあった(坂の上、鋭角屋根の建物)。高輪マンションことハンズトレーディング創業地。通りの向かいは赤穂浪士ゆかりの泉岳寺。通りの坂を下れば地下鉄泉岳寺駅と第一京浜(国道15号)。すぐ近くに高輪BMWがあるのにもかかわらず、この坂で40ftコンテナ一杯分のBMW純正ホイール(当時の新車E28用Mテク-並行輸入)を荷捌きした記憶。近所にハーレーチューナーサンダンスさんの黒いビルもありました。因みにバブル景気真っ最中。モノが売れないなんて考えた事がなかった、、自分の今の仕事に原点はやはりココです。高輪事務所に出社してミーティングの後に向かう倉庫がコチラ↓GoogleMAP&ストリートビュー提供

東扇島月島倉庫と書いてありますが場所は神奈川県の東扇島(鋼管島の隣島)。昔の倉庫は取り壊され、現在の月島倉庫になったようです。当時の倉庫脇にいわゆるスーパーハウスを設置して畳を敷いての正しい肉体労働者環境。商品の発送が忙しくて営業する暇がなかった。と言うのが実感。もう時効だとは思いますがドイツ有力チューナーパーツの殆どを直輸入で扱ってまして毎回の新製品(正規輸入元より早く展開)が楽しみだった。優れた製品を誰よりも早く手に取ってホンモノを体感出来たいい経験。ちょうどこの頃、当時の上司がBMWチューナーの扱いを検討していてACシュニッツアーからのオファーを蹴って(もったいない話で残念過ぎ)、KAILINE(カイリーン)を正規輸入元で展開もつかの間、ドイツ本国KAILINE倒産でお終い。引きの強さ(運の悪さ)だけ元上司から引き継いだのが自分みたいです。しばらくココの倉庫で作業しておりましたが、手狭になり隣の倉庫(上画像左)に引っ越し開始。フォークリフト1台+2人(自分と、現-株式会社ハンズトレーディング代表取締役)で数か月。肉体労働者の本領発揮。各種鍛造ホイールの恩恵はこの頃から感じてました、、なにせ積み上げるのが軽くて楽だった(笑)。倉庫を明け渡す際に捨てた20本以上のVW-Golf2用ジレットマフラーやKAMEI-X1kit&BBSのスポイラーもどさっと捨てました。Golf2用KAMEI大型角目四灯グリルキットとかも捨てた。今思えば、、ですよね。GoogleMAP&ストリートビュー提供

旧高輪フォルスキングダムビルさて、高輪泉岳寺の古いマンション事務所からこちらの高輪フォルスキングダムビル1Fオフィスに移りまして気持ちだけリッチ&バブル&トレンディーになった気がしました。ガラス張りのコピールーム&ラウンド長机で電話受けて売り放題(売れていたので電話かけませんでした)。丁度この頃にカーグラフィック誌の加藤さん(現-株式会社カーグラフィック代表取締役社長)が新入りされて、長期レポート車ルノールーテシア(初代)の日本未導入Bilsteinダンパーをご用意させて頂いた記憶があります(CG誌バックナンバーをお持ちの方は当時の記事をご確認下さい)。この事務所の隣にはポルシェチューナーRUF高輪ショウルームもあり好景気真っ最中!阪神淡路大震災もこの頃で、避難所にW126(メルセデスSクラス)のウォールナットシフトノブを発送した覚えがあり当時は何も考えませんでしたが、今思えばたった一つのパーツ(ウォールナットシフトノブ)がw126オーナーさんの気持ちを繋ぎとめる大事なモノだったのかもしれない。そーだったらいいな。と。GoogleMAP&ストリートビュー提供

東扇島倉庫東扇島の倉庫移動完了と共に事務所機能を倉庫に合体。リアルな港湾労働者(フォークリフト&プラッター乗り放題&毎週コンテナ入荷)となりました。COXさんから独立してBMW専門店をスタートさせたStudieの鈴木さん(現会長)と帆足さん(現CTO)も起業のご挨拶に来て頂いた記憶。で、好景気が続き仕入れが間に合わない、、今では考えられない状況下で通関業務をしつつ税関脇で検品して荷札を書いて発送。TACT(原木),IACT(成田)税関職員とホボ毎回ケンカしてた記憶でよくやってた感(消費税導入前の関税計算が面倒でした)。本業になりつつあったSACHS(ザックス)ブランドの構築も順調で100周年キャンペーンでサスペンションセットの年間販売台数が千セット突破。前年の販売台数38セット。伸びしろよね~。そーいえば阿部商会さんの倉庫もこの近くにありました。食肉センターで昼飯&食後にマリエンで昼寝が日課だった。GoogleMAP&ストリートビュー提供

大黒ふ頭引っ越しが続きまして、東扇島から隣の島、大黒ふ頭へ移動。港湾の星!小此木先生由来の大黒ふ頭小此木倉庫。兎に角忙しい時期でした。島内はほぼテストコース化して乗り放題&踏み放題でいろいろやりました。テスト中のナンバー付きPorsche964Cupで食後の全開走行が日課だったり初代ビッツのヤリス化(&デザインしたスポイラーをドイツで製作=そこそこ売れた)とフロント8J&リア9Jの14インチホイールメイクで爆売れ。ドイツ車用ザックスサスペンションセットの年間販売数2千台弱。その反面いろいろ辛かった時代。新造された地球深部探査船ちきゅう号もココで見た記憶があります。詳細はオートファッションimp誌バックナンバー”大黒ふ頭より愛を込めて”のコラムに細かく掲載してあります。当たり前ですが島内の港湾食堂は税関含め全て制覇済み。GoogleMAP&ストリートビュー提供

三枚町経緯が全く解らないうちに再び引っ越し。上画像の白い2階建てビルが横浜三枚町の事務所兼スパルコショップ。白いシートが剥がれかかった看板にはSACHS(ザックス)ロゴを掲げてましてちょーど東海道新幹線から見える仕立てだったんです。ショップオープン前日にスパルコ店の店長担当が辞職したりスリリングで今思えば楽しかった。倉庫は事務所と分離され大黒ふ頭の隣の、あいつとララバイでお馴染みの本牧ふ頭へ移転。自分の記憶では本牧倉庫にこもって(笑)事務所に半年くらいしか居なかったような気がします。倉庫が好きだったのかもしれない。GoogleMAP&ストリートビュー提供

本牧倉庫作戦の変更があったらしく三枚町事務所を閉鎖して社員の50%(スタッフの半分が離職)が本牧ふ頭横浜協立倉庫に再集結。S2000のスペシャリストASMさんの近く、事務所から外を見るとアニョキング戦記のロケ真っ最中だったりして刺激的な場所でした。自分の世界が少し広がった気がしました。詳細はオートファッションimp誌バックナンバー”ベイブリッジより愛を込めて”のコラムに細かく掲載してあります。因みに学生時代のアルバイトで勝島-月島-平和島の港湾労働経験があり、前職の東扇島-大黒ふ頭-本牧ふ頭で関東圏の港湾エリアを制覇した事が少し自慢(笑)。そーいえばトヨタ86構想の話を初めて聞いたのも大黒ふ頭勤務時代だった。ここで5年間勤務した後、埼玉に移転。その直前に3.11があり上画像、首都高狩場線誘導路の欄干がギーギー音を立てて揺れ、ベイブリッジは縦揺れから大きな横揺れ、日産専用倉庫付近から火災。港のガントリークレーンも倒壊寸前、、あれを見てガントリークレーンオペレーターになる事をあきらめました。とにかく大変だった。皆さんも地震に備えてくださいね。自分はこれからを見直す前に今月の売上を考えます(汗)。 日々精進  GoogleMAP&ストリートビュー提供